学校制度改革研究委員会・報告書(最終報告)

「豊かな学び」と「進路選択」を保障する山梨の高校改革プラン

   −『21世紀の教育の創造−中教審答申をのり越える
           教育提言−〈第1次提言〉』の具現化をめざして−  

                    学 校 制 度 改 革 研 究 委 員 会

                                        ◎:委員長  ○:副委員長  ( )内は所属
      2000年度 研究委員 │
        ○深沢正臣(県退職教職員協議会)  村松 泰 (県退職教職員協議会)  ○三科一彦(春日居中)
          清水繁子(明野中)   ○正木昭男(猿橋中)     勝俣準一(河口湖南中)
        ◎篠原俊明(武川中)     加山大洋(塩山中)     新海英記(浅川中)  
          石原正英(下部中)     石川君男(身延中)    鷹野 弘 (甲西中)  
          山本一弘(韮崎東中)   中村誠治(湖南中)     赤澤守夫(都留一中)
          小俣和弥(猿橋中)     宮下雅彦(西原中)     山本 豊 (上条中)

      1999年度 研究委員(所属は1999年度における所属)
         ○手塚幸男(県退職教職員協議会)   深沢正臣(県退職教職員協議会)   ○新海貞次(北西中)
          駒田逸雄(塩山中)   ○山本 栄 (市川中)    井上政義(甲西中)
         ◎倉田憲一(塩山中)     新海英記(浅川中)    石原正英(下部中)
          望月美彦(中富中)     鷹野 弘 (甲西中)    篠原俊明(武川中)
           山本一弘(韮崎東中)   中村誠治(湖南中)    赤澤守夫(都留一中)
           小俣和弥(猿橋中)     加納光太郎(棡原中)   山本 豊 (上条中)
           望月主税(富士見小)
 
                〔共同研究者〕 橋本 健二 先生(静岡大学)
                          石原 一彦 先生(甲府西高校)
                          渡井 渡 先生(六郷中学校)
 
                  〔事務局〕  望月 忠男(山梨県教育研究所  所 長 )
                           篠原 忠実(山梨県教育研究所 研究局長)
                            井上 敬典(山梨県教育研究所 研究委員)
        山梨県教育研究所
             〒400-0031 甲府市丸の内三丁目9−10 山梨県教育会館2F
                    TEL&FAX:055−222−1546
                 URL:http://www.comlink.ne.jp/~y-kyoken
                 E-mail:y-kyoken@comlink.ne.jp


目     次

1.はじめに                            

2.特別寄稿

(1)高校教育改革の歴史を振り返る                            
             山梨県教育研究所所長 望月忠男

(2)希望するだれもが学べる高校づくりを                         
             静岡大学教育学部助教授 橋本健二

3.「総合学科高校」の可能性を求めて

 (1)「総合学科高校」は何故設置されたのか?                          

 (2)「総合学科高校」の可能性            

4.「地域合同総合制高校」を展望した高校改革の推進を

 (1)私たちの求める高校像                

 (2)「地域合同総合制高校」とは?             

 (3)私たちの提起する2つのプラン            

5.山梨県における「地域合同総合制高校」設置を中心とする改革プラン(プランA)

 (1)改革プラン(プランA)の基本的な考え方(プランA地図)               

 (2)具体的な改革プラン                  

6.山梨県における「地域合同総合制高校」移行への段階的プラン(プランB)

 (1)段階的プラン(プランB)の基本的な考え方(プランB地図)             

 (2)具体的な段階的プラン              

7.おわりに         

              資  料

 (1)戦後の高校改革・高校入試改革に関する年表     



1.はじめに

 私たち山梨県教育研究所は、1999(平成11)年4月に「学校制度改革研究委員会」を設置しました。 設置の理由のひとつは、研究所が先に出した「教育提言」をより具体的に継続検討しようとしたことに
 あります。 すなわち、

 1997年12月(第1次)、1998年3月(第2次)の提言、とりわけ第1次提言においては「抜本的な大学・ 高校の入試改革案」として、高校について、
 @希望者の無試験全員入学、
 A単位制高校、総合学科高校の整備
を提起していますが、このことを受けて、具体的に、どこに、どのような総合学科高校をつくることがよいのかなどを検討することが必要になったこと。

 ふたつめには、山梨県においても高校再編計画(高校整備新構想)が、文部省の1999年9月に出した「教育改革プログラム(改訂案)」による「総合学科高校は、当面、公立高校の通学範囲(全国で500程度)に少なくとも1校整備されることを目標とする…」構想などともリンクしながら、学校統廃合ともからんで進行している状況があり、このことから、既にスタートしている「新しい高校(総合学科高校や単位制普通科高校)」の実態調査や、生徒・保護者を含めた中学校側のニーズをとりまとめる必要があること。

などを踏まえてのスタートとなったわけです。
 委員19(現在18)名で構成されたこの研究委員会は、学習会(講演会)や県外視察なども含め何度かの研究会(全体会やブロック別)、さらには各小中学校ごとの全教職員による研究会などを重ね、1999年12月に「複数のキャンパスを持つ総合学科高校=地域合同総合制高校」設置案(プランA)を報告しました。
 今回は、県民のみなさんから寄せていただいたプランAに関するさまざまご意見等を参考にするとともに、各小中学校ごとの全教職員による研究会などを積み重ねながら、その後の調査や具体的な検討をすすめ、プランAへの段階的なものとして「県内6ブロックへの総合学科高校」設置(改編)案(プランB)をまとめました。
 私たちが、これまでに命題としてきたものは、「生徒(子ども)たちは、高校に何を求めているのか」「高校の目的とは何か」を検証することでした。
 また、私たちの提案の根底にあるものは、「地域コミュニティの拠点としての学校・高校」「希望者全員が無試験で入学できる高校」づくりであることも最後に付記しておきます。
 この提案(プラン)が県民みなさんにより検討され、「新しい高校づくり」に生かされることを望むものです。


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2.特別寄稿

(1)高校教育改革の歴史を振り返る

                              山梨県教育研究所 所長
                                  望月 忠男

はじめに

子どもたちが「夢や希望を持って 自分の良さや可能性を伸ばしながら 自信と誇りを持ち生き生きと学習や諸活動にとりくめる」──そんな学校・高等学校を求めて県民皆が知恵を出し努力してきた、そんな歴史が、山梨県の高校教育改革の歴史であった。
 少子化などの進行で、数字の上では中学生の希望者全員が高校に入学することが可能になった今、高校への無試験全員入学、つまり高校の準義務制をめざしてさらなる改革を前進させる時であろうと思われる。 子どもたちに学びの夢と楽しさを実感させながら、国民的な教養を身に付けさせ、将来に「生きる力」を培わせるための高校教育のシステムを構築するために、歴史に学ぶところは大きい。
 山梨県の高等学校教育の変遷・歴史というものは、高校三原則、とりわけ「小学区」と入学者選抜制度、なかでも「入試科目の変遷」に象徴的に見ることができる。
 視点を変えれば、それは時代の流れや政治の流れ・文部行政の「指導」のなかで、いかに山梨らしい、山梨の子どものための、つまり「地域の子どもは地域で育てる」という原点のなかで教育を維持してきたかという歴史でもあったと見ることができるからである。
 1948(S24)年の戦後の新制高等学校の発足から、2001(H12)年、2校目の総合学科高校である北杜高校の開校(予定)までの歩みを、上記2点を中心にしながら「改革の歴史」として振り返ってみたい。


1.学制改革―総合高校

高校六原則――第1次高校再編
新制高等学校は、旧来の一部少数の者が学ぶ中等教育機関から義務教育終了後さらに「学校教育を継続しようとする者を全部収容することを理想とする(S22.3文部省・新教育の指針)」開放的な中等教育機関として1947(S23)年にはじまった。
山梨県でも、県立22校・私立3校の新しい高等学校が開校した。新制高等学校は、普通教育と専門教育を施すという理念のもと、総合制・学区制(小学区)・男女共学制という「高校三原則」が基本とされた。

高校三原則とは
  小学区制、男女共学制、総合制の三つをいう。大まかにいえば中学校の制度と基本的に同じあり方。戦後中等教育の前期3年間「中学校」として単一制度による義務教育となった。「高等学校」も、それに引きつぐ開放的な教育機会として、やはり単一的な制度のあり方がめざされ、三原則がたてられた。
 小学区は、そもそも新制高校は「その収容力の最大限度まで国家の全青年に奉仕すべきもの(望ましい運営の指針1949年)」とし、中学校からの指導の一貫性や地域とのむすびつきを考えれば、学校設置の地域性の原則は不可欠であり、通学の便利さも考えれば、一校一学区が望ましい。
  男女共学は、男女青年の教育の機会均等の見地から、どうしてもと強制はされないが、公立の新制高校は共学にすることが望ましい。
  総合制は、主として普通教育を希望する生徒と主として専門教育を希望する生徒の両者を卒業させられるだけの教育を準備し、一地域社会のすべての必要を一つの学校組織で満たそうとする総合型の学校。なお都市部では必ずしも総合制でなくてもよい、とされた。

文部省は、その時、「希望者全員入学」を掲げ、「入学者選抜は、適切な施設が用意できれば直ちになくすべきものと考え」「当面、志願者が定員を上回る場合は、入学試験を行うことができる」としていたので、「無試験」も4つめの原則であったと言える。
 山梨県でも、校舎をはじめとする施設・設備などの問題に苦慮しながら、実質的な三原則に基づきながらの高等学校が、統合・名称変更・学科の整備を経てスタートしたのは1950(S25)年のことである。
学区制で見ると、普通学区11(うち、小学区9・中学区2)の学区が設定された。この他、職業学区6に、普通学区の複合地域8、職業学区の複合地域6となっていた。
 総合制については 1949年3月、21校から16校への統合(再編)の際、総合化もすすめられ、甲府一高を除く15校で2つ以上の学科が設置された。ちなみに、1950(S25)年3月での各学校での学科の設置状況は次のようである。

 峡北高校    普通科、農業科、林業科、畜産科、農業家庭科、木材工芸科、被服科
 韮崎高校    普通科、粧業科、被服科、食物科
 巨摩高校    普通科、商業科、被服科
 身延高校    普通科、商業科、被服科、食物科
 市川高校    普通科、商業科、被服科
 峡南農工    農業科、木材工芸科、農業家庭科、
 甲府一高    普通科
 甲府二高    普通科、被服科、食物科
 甲府高校    家庭科、商業科
 農林高校    農業科、林業科、園芸科、畜産科
 甲府工業    土木科、建築科、電気科、機械科、電気通信科
 日川高校    普通科、商業科、
 山梨高校    普通科、被服科、食物科
 石和高校    普通科、農業科、農蚕科、園芸科、農業土木科、農業家庭科、被服科
 都留高校    普通科、商業科、被服科、食物科
 谷村高校    普通科、紡織科、機械科、工業化学科、商業科、被服科、食物科
 吉田高校    普通科、農業科、紡織科、木材工芸科、被服科
                               (「山梨教育百年史」より)
 その後、峡北高校の木材工芸科の廃止、農林高校に農業土木科・農村家庭科の設置、峡北・巨摩・市川・韮崎高校の被服科、甲府二・韮崎高校の被服科・食物科がそれぞれ家庭科と改称され、谷村高校の工業化学科が染色化学科と改称されるなどしている。
 設置した課程の種類は別として、現在進行している「総合学科高校」の考えと一致している点、進路という点では、「職業教育と普通教育を高校で分けない」という原則をつくりだしているところに注目しておきたい。
 男女共学については 甲府工業高校(男子のみ)を除き共学としたが、旧制の中学校、女学校を母体とする高校、甲府一高・日川高校(男子)、甲府二高・山梨高校(女子)では、なかなか共学が進まない状況が続くことになる。

 新制高校発足当時の「高校三原則」の実施状況を全国的にみると「学区制90%、総合制42%、男女共学制70%」(1949年)という中で、山梨において普通学区11学区のうち9学区で小学区制を実施し、維持してきたことは特筆されるが、県教委は「高等学校教育振興委員会」なるものを設置するなかで、高校六原則を策定したことが、以後の山梨県の高校教育推進上で、その理念の底流をなし 行政施策の原則として機能してきた。
 すなわち「山梨県版高校六原則」とは、先の三原則に加えて
4,進学希望者全員収容の原則   
5,学校施設均等の原則 
6,教員の適正配置の原則 であった。
このうち 「進学希望者全員収容の原則」は、無試験全員入学に通ずるものとして特に注目に値する。


2.総合制のくずれ

単課程高校――第2次高校再編
 1960年代、日本は高度経済成長に入り高校への進学率が50%を超え、やがて70%台と急上昇する中(山梨は60年61.3%、65年75.9%)で、高校の新設、分離独立、定員増、学科再編が行われ、総合制の後退が目に付くようになっていく。すなわち経済成長に関わる技術革新に連動し、家庭科・農業科の縮小、普通科の拡充、工業科・商業科の新設、再編が行われたのである。
 国レベルの経済審議会(経済発展における人的能力の開発の課題と対策)、県では高校教育審議会による答申(高校再編)を受けてのものであったが、実際には、増穂商業高校・塩山商業(55年)、吉田商業、須玉商業(63年)、第一商業(65年)山梨園芸(61年)、韮崎工業、北富士工業(63年)が管理移管・分離の形や新設の形で商・工系の高校が新設、普通科系では甲府南(63年)、桂(66年)が新設されていった。
 これらの多くは、工業、商業、農・園芸のみの単課程の独立校であり、甲府南、桂高校も普通科のみの単課高校であった。
 ここに「高校三原則」の一つである「総合制」はくずれていくことになり、文部省の「高校入試選抜のための学力検査実施」の通達(1963年8月)と併せ、普・職がはっきりと分離されるシステムができあがっていった。


3.総合選抜(総選)のはじまり

総選の導入
 1970年代に入り、全国的に高校の進学率は90%台に達し、普通科を中心にした高校が数多くつくられた。これらの高校は、いずれも人口急増の市街地を対象につくられたものであり、付随して学区の拡大、従って学校間格差の増大、進学競争の激化など深刻な問題が進行しようとしていた。
 1966年、東京都は「学校群」の導入を決めたが、山梨県教委は「学区外入学定員制限10%」を決めた後、高等学校入学者選抜制度審議会(入選審・第1次)への答申を図り、「新設高校は総合選抜制に組み入れることで対応する」という方法をとった。
 1968(S43)年3月、甲府学区普通科(甲府一高と甲府南高)での総合選抜(制度)がはじめて実施された。

総選の拡大
各高校間の「学力資質の格差の是正」が甲府学区への総選導入の目的だとされたが、入選審の審議のなかでは、各高校間の教育上の特色・理想・伝統・地域性などによって生ずる格差は、格差ではなく「当然あるべき差異」であり、また施設・設備・教職員の構成から生ずる格差は「行政的措置による改善が可能な部分である」との議論がされたと聞く。
 実際には 新設された甲府南高校と伝統校と言われる甲府一高との「学校間格差の是正」が、当面の総選導入の大きな理由とも言われた。ともあれ総選は、基本的な「小学区」をベストなものとすれば、ベターなものとして位置付けられ、三原則の「小学区」は、「小学区・総選」としてその原則を維持することとなった。

 以後この総選は、新設校の増加などに伴って、甲府学区3校(甲府二高が加わって)総選(75年)、甲府学区4校(甲府東が加わって)・吉田学区2校(77年)、甲府学区5校(甲府昭和が加わって)・小笠原学区2校(84年)、そして東山梨学区3校(90年)と、順次拡大していくことになる。

地域優先方式
 総選に対しての当初からの不満は、「学校内格差の拡大」「生徒の希望無視」「通学距離の問題」「学校の特色をなくす」「一流大学への進学不振」などとして出されていたが、県教委は第5次入選審の答申(83年)を得て、総選に「地域優先方式」を導入することにした。
これは、それまでの「学力均等方式」に、「各高校の周辺地域を固定区とし、隣接地域を調整区とし、固定区で合格点に達した者はそれぞれの地域の高校へ、調整区で合格点に達した者は居住地を勘案して隣接のいずれかの高校へ配分する」を加味するもので、「より一歩、小学区に近づいたもの」だと言われるが、この段階で同時に検討された「希望優先」も根強く主張され、1992年3月に 他のさまざまな選抜方法の変更の際に、「希望制」が導入されることになる。
 この希望制が強く働くことは、「学校間格差がない」という総選の基本がゆらぐもとになるわけで、普通科系の全県一区の高校の出現と同様「小学区・総選」の原則がくずれることになっていくことになるのである。


4.専門教育学科の設置―小学区・総選の空洞化 

 専門教育学科の設置は、山梨県の高校教育改革の歴史のなかでは、ひとつの転換点になる大きな出来事であった。
山梨の場合、この設置を2つにわけて位置付けることができる。
 最初のものは、甲府南高・都留高校の理数科、日川高校の体育科(78年4月)であり、その約10年後にはなるが、市川高校・桂高校への英語科の設置(88年4月)である。二つ目は、甲府一高(英語科)・吉田高(理数科)にはじまる学科・コースの新・増設である。
 1978年、高校の学習指導要領が改訂され、79年には大学入試で「共通一次試験」が開始さるという背景のなか、山梨県では山梨医科大学の開校が予定され、高校入学者選抜制度のなかで、入試科目が国語・数学・外国語の三教科から「五教科入試」が導入(82年3月)されることとも連動しながらの専門教育学科の設置であった。
 この専門教育学科は、全県一区の高校がだめなら全県一区の学科・コースをつくることで大学進学への対応をしていく、「エリート養成」とみることができる。
 大きな出来事と言ったのは、「小学区・総選」の空洞化のはじまりとみることができるからである。
 二度目の学科の新設は、第14期中央教育審議会(中教審)の「個性尊重・人間性重視を」の審議がすすむなか、山梨県では後期中等教育問題協議会の中間・最終答申に基づくものだが、ここでは総合学科の構想が出される一方で、新しいタイプの学科・コースの設置がうちだされ、いわゆる「多様化路線」のはしりのなかでの甲府一高(英語)、吉田(理数)、そして理数・文理・国際教養などの名前の専門学科・コースが12校(現在11校)に設置されていった。ただしコースは学区内からの選択のみ。
山梨県では これは小学区・総選内における「学区内格差」の出現とでも名付けられるものであった。またこれらの学科は、全県一区とする募集範囲であることから「学区というくくりのなかに学区外からのフリークラスを持つ」という矛盾した形態をかもしだしていた。
このことは、やがてその数が増えることで「格差」の優位性がなくなるという矛盾を含んでいたこともまた指摘をしておきたい。


5.五教科入試

 山梨県における入学者選抜制度の変遷は高校改革の歴史(小学区・総選の空洞化)とまたみごとに重なっているように見える。とりわけ学力検査の科目が三教科から五教科に変わったところは、先に指摘したように、高校増設、職業高校(専門高校)の増設や学科増設と、専門教育学科の導入という変わり目の部分とわけて考えることはできない。
 山梨における入試の変遷を簡単にたどってみると、次のようになる。
  
 ――――選抜制度(入試科目)の変遷――――
1947(S22)
    *学校教育法施行規則:高校への入学は校長がこれを許可。入学志願者が定員を超えた場合、選抜をする。
      選抜は調査書と学力検査の成績を資料とする。
1948          併設中学校より無試験全員入学
1949          同上
1950(S25) 学力検査(アチーブメントテスト)問題作成(学校教育課)、会場・採点(中学校)
    *高校進学率 46.7%(全国)
1951          同上(8教科)
             問題作成(中・高・事務局の3〜4名)会場(各中学校)採点(教育事務所)
1952          進学適性検査、問題作成(大学教授9名)会場(各中学校)採点(高校)
    *文部省・選抜要項:1、高等学校は高等学校教育の普及およびその機会均等の精神にのっとり、
                   志願者のなるべく多数を入学させるものとする。(以下略)
                 2、入学志願者が募集人員を超過し入学者選抜のために学力検査の必要が
                   ある場合は、志願者に対しこれを行うことができる。
1953           進学検査、問題作成(同上)会場(最寄の高校)採点(高校など)
1954  学力検査 8教科(国、社、数、理、図(美)、職家、保体、音)    800点
         選抜を前期、後期の2回に分けて行う
1955(S30)   同上・選択(英・農・工・商・家)より一科目選択 (20点) 820点
1956      同上・同上             (50点) 850点
1957      同上・同上             (75点) 875点
1958〜60   同上(保体の実技10点を含む)・同上 (100点) 900点
1961      同上(保体実技20点)        (100点) 900点
1962       同上(音楽の実音30点を含む)・同上    (100点) 900点
1963       同上(音楽 40点)・選択は外国語(英語)のみ      900点 
    *文部省選抜要項(施行規則)改正 通達:入学者の選抜は(内申書、学力検査成績等を資 料とて)
      高等学校を受けるに足る資質と能力を判定して行うものとする。
    *第一回 能検テスト実施
1964         同上(保体実技30点)                  900点
1965(S40)〜66  同上(音楽実技50点に)                 900点
1967(S42)      学力検査 4教科(国・数・保体・外国(英))       400点
1968         同上   4教科(国・数・理科・外国(英))       400点
1969          同上   4教科(国・数・社会・外国(英))       400点
1970(s45)〜81  学力検査 3教科(国・数・英)             300点
    *70  進学率 80%(全国)
    *79  共通一次試験開始
    *82  山梨医科大学開校
1982〜2000   学力検査 5教科(国・社・数・理・英)         500点
    *84  文部省:高校入試は各高校、学科の特色を考慮しつつ、その教育を受けるに足る能
            力・適性を判定して行うこと。
    ・86  工業高校に推薦制
    ・87  商業高校に推薦制
    *93  国の高校教育改革推進会議3次・4次報告:入試制度の改善を報告(業者テストを用いない方法を)
    ・94  職業(専門)高校推薦枠拡大、調査書変更、志願変更変更枠拡大、ボランティア活 動点数化、
         総選に希望制導入
    ・96  専門教育学科志願者は普通科を2次希望できる 
    *96  文部省・高校入試改善を求める通知:学力のみでなく小論文・面接・実技など採用、調査書重視、
         スポーツ・ボランティア活動・自己申告など活用を
    ・97  専門教育学科・普通科に推薦制、総合学科・単位制・普通科に傾斜配点
        総合学科・単位制の推薦に面接と作文・個性表現・特技などで
    ・98  推薦入試に作文、実技など
    *98  文部省・高校入学者選抜制度の一部改正:特別な事情があれば学力検査、内申書のいずれも
         使用しないことも可能。特別の事情は高校の判断。選抜の規定を外したものではない。

 希望者全員入学から学力検査を資料とする「適格者」のみの選抜へ、学力検査の教科目も全科目から主要科目へと、時代の流れ、社会の要請に従っての変遷がうかがえるが、要は、進学(大学入試)に向けていかに対応していくかに、その中心を見ることができる。
 そして、「個性重視、個性伸長、柔軟に」に対応する高校の多様化も、入学者選抜の視点からみると、依然として学力上位者優位の変革になっているように受け取れる。
 今次中教審でも「高校入試で成績が一定レベルに達しない受験生を不合格にする『適格者主義』を改める」という論議もされたと聞くが、たった一つのペーパーによる検査(調べ)だけではなく多様な能力を持った子を、多様な方法で調べて、多様なコースを用意し、学習権を保障するシステムをつくる方向になればと思う。


6.あたらしい高校づくり

高等学校整備新構想 
1992年、国の「高校教育改革推進会議」が「多様な選抜方法を中心」とした中間まとめと最終報告で「総合学科高校」の構想と「入試制度の改善」を出し、県では「山梨県地方産業教育審議会(地産審)」が、「魅力あるユニークな学科・コースの設置を」の答申をし、それを受ける形で93年、入学者選抜制度審議会(入選審7次)が開かれ、「総選への希望制導入」「職業(専門)科の推薦枠拡大」を審議し答申した。
 これらは、翌94年の選抜に反映され、総選への希望制の導入、専門高校(科)の推薦枠拡大、などが取り入れられた。
ちなみに教委学事課(当時)の発表によると、志願者の83.2%が希望した高校へ入学できたとのことであった。1996年、県教委は「山梨県新しい高校づくり研究協議会」の提言をもふまえながら「高等学校整備新構想」を発表した。
さらに入選審(8次)の中間答申を経て「新しい高校」の学区設定などを発表した。
 それによると「より柔軟に より個性を」の視点から、新しい高校づくりをすすめることとし、普通高校:専門教育学科を6ブロックに2校づつ増設する。専門学科を増設しない学校にコースを設置する。全日制の単位制高校を設置する(当面 甲府学区に1校、他にも順次)。
総合学科高校:全県的にブロックを考慮しながら順次設置していく。(当面、甲府地区に1校改編の形で)   
専門高校:時代の変化、先端技術に対応できる学科の再編、総合化を図る。
        くくり募集、転科の弾力化、学科を超えたH・R編成など活性化を図る。
        大学進学への希望に対応する。
定時制・通信制:昼・夜間部併設の単位制高校を 富士北麓東部に1校設置。
          中央高校の拡充・整備
その他:教育条件の整備
     選抜制度:小学区・総選の緩やかな維持のもと 普通科は―――小学区・総合選抜
         専門学科・総合学科・単位制・定時制は―――全県一区とする。
 多様な選抜方法の導入を図る。
などであった。
 かくして、1997年4月、総合学科高校として甲府城西高校(機山工業高校・第一商業高校を統合改編)と、全日制単位制高校として甲府西高校(普通科/甲府西高校改編)が全県一区として発足した。 同時に、専門学科を5校に増設(計12校 現在11校)、コースを8校(現在7校)に設置し、入学生の募集を開始した。
 99年4月から、日川高校が体育科の募集を停止し、東山梨地区総合選抜から外れ、全日制単位制高校に改編(全県一区)した。 

総合学科高校の増設
1999年6月に、2校目の総合学科高校を峡北地区へということで、峡北高校・峡北農高・須玉商業の三校を統合して、2001年4月に現峡北農高の敷地に校舎を新築して開校するとの発表がされた。
 これは、先の高校整備新構想の「ブロックを考慮しながら順次設置していく」に依るものだが、総合学科高校が、「生徒減(少子化)や学校の小規模化を設置の理由の一つにしている、したがって高校の統廃合を伴う、総合学科高校は職業(専門)高校だ。」のイメージがあり、設置場所(校)がなかなか決めにくい状況があった。
 峡北地方の新設校(北杜高校と名づけられた)は総合学科を主体にしながら、理数科・普通科を含む珍しい形の高校として、来春の開校に向けて着々と準備がすすめられている。考えてみると、この統合される三校は、新制高校発足(1949年)の峡北高校であり、そこは普通科・農業科・林業科・畜産科など7つの科のある、60年代には商業科も入った総合高校(総合制)であった。その後の高校再編(2次)によって、須玉商(63年)峡北農(75年)の分離・開校となり、40年の歴史を経て、再び元の姿にもどり再スタートすることになったのである。

総合学科高校
 総合学科は、普通科と職業科を合わせた「第三の学科」として構想されたと聞くが、高校三原則の「総合制」で見れば、その発足当時の理念、すなわち「地域社会の要求に応えて多様な進路選択を可能にする教育課程を編成し、主として普通教育を希望する生徒と主として専門教育を希望する生徒の両者を卒業させられるだけの教育を準備し、一地域社会のすべての必要を一つの学校組織で満たす学校」と同一の構成、内容を持つ高校であると思える。
 すでに開校し、一回目の卒業生も送り出している甲府城西高校は140もの科を開き生徒のニーズに応じていると聞くが、その意味では普通科、理数科(専門教育学科)を別途に置くのではなく、それも含めた科(系列)を用意することで、普通・職業(普・職)履修希望者、あるいは障害をもつ子も同一校で学ぶというインクルーシヴな高校が、今、求められているのである。
 山梨県の地域状況・通学時間などから、あるいは地域のコミュニティの拠点としての学校をという視点・学校間格差の解消という点からも、一つの学区(高校)に幾つものキャンバス(校舎)を置くという「地域合同総合制」の高校の具体的なプランが、山梨県教育研究所から出されていることを付け加えておきたい。
 ともあれ、3校目、4校目の総合学科高校については、99年10月に設置された「新しい高校づくり研究協議会」の提言を受けて東部(郡内)地区を中心に設置していくこととしてブロックの線引きも含めて検討が続けられている。


おわりに

 教育をめぐる様々な問題が社会問題として認識されてから久しくなる。学校を改革するための多くの提言もなされているが、その多くの課題が、こうして振り返ってみると高校教育改革に収斂されているように感じた。
 今回、単位制高校・中高一貫教育校については言及することができなかったが、高校三原則は新たに小学区制は地域に根ざした近くの学校を。男女共学制は共学・共生の学校を。総合制は子どもの希望による教科の選択、多様な進路保障を。とその原則の理念がさらに拡充される形で構想されようとしている。 
 中央教育審議会(第17期)の「初等中等教育と高等教育との接続の改善」答申によると、初等中等教育の役割は「基礎・基本を習得した上で、その後の学習や職業・社会生活の基盤を形成し『自ら学び、自ら考える力』など『生きる力』を育成する」こととし、高校への入学者選抜では、入学希望者の能力、適性を判定するという適格者主義は改めない提言をしているが、ほとんどの中学生が高校へ進学する現状のなかで、「『生きる力』を育成する高校」は、その選抜を含めていかなるシステムがよいのか、まさに見極め、決める時である。
 


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(2)希望するだれもが学べる高校づくりを

 
                              静岡大学教育学部 助教授
                                                橋本 健二

 高校教育改革は、今日の教育制度改革の中心に位置するものです。その中心課題は、第1に普通科と職業科の区別をなくして総合制を実現すること、第2に高校間格差をなくしてだれもが地域の高校で学ぶことができるようにすることです。
 ではなぜ、こうした改革が必要なのでしょうか。
 これを考えるためには、戦後発足した新制高等学校の理念と、高校教育のその後の変化について振り返ることが必要です。


1.新制高校----未完の教育改革

 戦前期の中等教育は、複線型(または分岐型)と呼ばれる構造をもっていました。そこでは義務教育である尋常小学校の上に、実業学校、高等女学校・中学校などの多様に分岐した中等教育諸学校が連なり、旧制高校や大学には、原則として中学校卒業者のみが入学できました。それはいわば、エリートと非エリートを早い段階で分けてしまう学校体系でした。
 複線型の学校体系を単線型に改めることは、世界の教育改革に共通する趨勢です。早い時期に若者たちを区分してしまう複線型中等教育の下では、出身家庭が豊かであるか否かによって、異なる種類の学校に進学することになりやすくなります。戦前期の日本でも、中学校に進学するのはおおむね、豊かな家庭に生まれた子どもたちに限られていました。だから、高校以上の学校に進学できたのは豊かな家庭の出身者だけでした。こうして複線型の学校体系は教育を受けるチャンス、つまり教育機会の不平等を拡大してしまうのです。また、早い時期に進路が決定されてしまい、やり直しがきかなくなるという問題もあります。だから中等教育の構造は、単線型、つまりエリート向けの学校と非エリート向けの学校に分けない学校体系に改められなければならない。これが、世界的に認められてきた教育制度改革の基本です。日本の新制高校も、この流れの中で発足しました。中等教育は、中学校・高等学校という、それぞれ単一の学校に整理され、若者たちはすべて、同じ種類の学校に属することになったのです。
 この改革の当初の構想は、かなり徹底したものでした。1947年の「新学校制度実施準備の案内」(文部省)には、総合制・男女共学・小学区制(いわゆる「高校三原則」)が規定され、将来的には入学者選抜をなくして、希望者を全員入学させることが原則とされていました。性別はもちろんのこと、成績や将来の進路の違いによってすら、高校教育は分岐してはいけない。進学コースと就職コースに、学校を分けてはならない。高校教育は、どんな進路に進む子どもたちの要求にも対応できるよう、総合的なものでなければならない。入学希望者は全員、等しく受け入れなければならない。それは中等教育制度の、実に根本的な変革だったといえるでしょう。
 しかし、単線型への移行は不徹底に終わりました。普通科と職業科の学科区分が採用され、旧制中学を前身とする普通科高校と実業学校を前身とする職業高校の間に、教育課程の違いが残ってしまいました。こうして、進学コースの学校と就職コースの学校を分ける、戦前期の構造が温存されてしまったのです。こうして成立した高校教育の仕組みを、普−職の二元的システムと呼ぶことができます。
 また1963年の学校教育法施行規則改定によって、入学者選抜も行なうことが原則と定められ、高校に進学するためには一定以上の学力が必要だとする、いわゆる適格者主義が定着してしまいました。こうして戦後改革は未完に終わり、課題は後に持ち越されました。


2.高校教育改革に求められるもの

 その後40年ほどの問に、高校教育の社会的位置は大きく変わりました。1950年の高校進学率は42.5%、60年でも57.7%です。つまり「高卒」という学歴は、「平均以上」という性格をもっていたと言えます。実際、2000年の大学進学率は、49.1%、1950年代の高校進学率とほぼ同じです。
 当時の高卒者たちは───女性差別の解消が課題とされている今日より、さらに女性差別の厳しい時代ですから、ほぼ男性に限られてはいましたが───、企業の中心になって働くサラリーマンやエンジニアになりました。普通科・商業科の卒業者は事務職として採用され、そのかなりの部分は昇進して管理職になりました。工業科卒業者の多くは、技術者になりました。こうした人々が10年ほど前まで、大企業の課長・係長クラスのかなりの部分を占めていたのです。つまり高校は、トップのエリートを育てるというわけではないとしても、基幹的な人材を育てる場として機能していたのです。その役割は、今日の大学とほぼ等しいものでした。
 こうした時代ならば、普通科と職業科を分ける必要が確かにあったかもしれません。また、入学試験で選抜を行なうことにも意味があったかもしれません。当時の高卒者には、それぞれの学科に応じた専門性が期待されていたからです。しかし今日、事情は大きく変わっています。
 今や高校進学率は97%。高校教育を受けることは、もはやあたりまえのこととなりました。高校入試は、わずか3%の「高校に入れなかった人/入らなかった人」を選び出す制度と化したのです。また高校に進学しなかった人が、後になって高校に入学しようと思っても、その前に入試という厳しい壁が立ちはだかることになります。試験問題を解く能力は、いったん社会に出てしまえば低下していきます。いったん社会に出て、後から高校に進学するという回り道は、圧倒的に不利です。だから日本の若者たちは、勉強が嫌いでも、学校以外の場所でやりたいことがあっても、とりあえずは高校に入学しなければならないという重い圧力を受けることになるのです。このような現状では、生涯学習社会にふさわしい高校教育が実現できません。
 普−職の二元的システムも、多くの問題を抱えるようになりました。大学進学率が上がるとともに、普通科は大学に進学できる学科、職業科は大学に進学できない学科、というイメージでとらえられるようになり、当然、職業科は「格下」の学科とみなされるようになりました。また、いったん普通科に進学してしまうと、就職したいと思っても就職向けの科目を学ぶことができません。職業科に進学してしまうと、進学向けの科目を学ぶことができません。つまり普−職の二元的システムの下では、生徒の進路選択に柔軟に対応できないのです。最近では文部省も、こうした普−職の二元的システムの問題点を率直に認めています。そして総合学科高校の設置を推進する姿勢は見せていますが、実際に設置されたのは全国で百数十校、高校全体の2%あまりでしかないのが現実です。
 いま求められるのは、普−職の二元的システムや学校間格差の構造を放置したまま、一部に総合学科や「個性的な高校・学科」を設置することではありません。高校教育の仕組み全体が、変わらなければならないのです。その原則は、普通科と職業科(最近では、専門学科と呼ばれています)の区分をなくしたり、学校間連携によって、どの高校に進学しても進学向け・就職向けの両方の科目を学ぶことができるようにすること、つまり「総合制」の実現です。また高校入学者選抜は原則廃止し、中学教育と高校教育をともにすべての子どもたち、さらには大人たちにも開かれたものとし、両者の連携をはかっていくことが必要です。


3.「地域合同総合制高校」の意義

 こうした新しい高校教育の、具体的な形を示すのが、今回提案されている「地域合同総合制高校」です。
 地域合同総合制高校の基本的なアイデアは、すべての高校を総合学科高校にすることを目指しながらも、現実にある高校の施設・設備の違い、立地のあり方、各高校の特質などを考慮し、学校間連携を活用することを通じて実質的に総合学科高校と同じ効果をもつ高校教育の仕組みを整えようとするものです。高校がいくつもあるような都市部では、普通科・職業科・その他専門学科の連携によって、どの高校に入学しても総合学科と同じような科目選択ができ、どんな進路にも対応できるようにします。つまり地域の高校全体で、一つの総合学科高校として機能するようにするのです。人口が少ない地域では、地域の高校を総合学科高校にします。こうして、今ある高校を生かしながら、総合制の高校教育を実現するのです。
 地域合同総合制高校が実現すれば、高校教育は生徒の多様な進路に柔軟に対応できるようになります。さらに、高校間の序列がなくなり、無駄な受験競争をしなくてすむようになります。今回の提言は、地域合同総合制高校の理念とともに、その具体的なあり方を示すもので、全国的にみても高校教育改革のパイオニア的役割を果たしうるものだと思います。


4.高校教育改革と大学入試改革

 こうした高校教育改革を進めるためには、大学入試改革を進めることも必要になります。そもそも普通科と職業科の間に格差ができてしまった最大の原因は、大学が普通科で教えられる科目を前提にした入試を行ってきたため、職業科の卒業生が事実上、門前払いされてきたことにあります。地域合同総合制高校を実現しようとしても、普通科有利の大学入試制度のもとでは反対が多く、実現しても進学希望の受験生には敬遠されてしまい、私学に生徒が流れるのではないか───こんな不安をもつ人は少なくないでしょう。
 このような不安には、誤解にもとづく部分や取り越し苦労の部分も大きいと思います。地域合同総合制高校は、どの高校に入学しても、同じように幅広い教科・科目を選択できる高校です。家の近所にある、元は職業高校だった高校に入学しても、進学向けの科目を履修することができる、同じように、元は普通科だった高校に入学しても、就職向けの科目を履修することができる───それが地域合同総合制高校なのですから。それに高校入試が廃止されれば、無試験で地元の高校に入学できるのに、わざわざ受験勉強をして遠くの高校に入学しようという生徒は、それほど多くないでしょう。
 しかし、大学入試制度を改革しなくてよいというわけではありません。とくに大きな問題は、個別の大学が出題教科・科目を決めて、1点を争う競争試験を行っていることです。個別の大学が決めているために、出題教科・科目は普通科で教えられるものに偏ってしまうばかりか、受験生を集めやすいように、2教科とか3教科などというように減らされることが多く、受験生は教科・科目を絞り込んで、偏った受験勉強をすることを余儀なくされています。こうして高校教育は、受験向けに歪められてしまいます。受験に特化したカリキュラムを組む私立の進学校が有利になるのは、このためです。また、最近話題になった大学生の「学力低下」の最大の原因も、ここにあります。
 こうした問題点を解決するため、もうかなり以前から、「大学入学資格試験」の導入を軸とした大学入試改革が提案されてきました。これは、


 @大学進学を希望する高校生全員に、高校教育の全般にわたる多くの教科・科目について共通試験  を受験させ、
  その成績が一定以上の水準に達したら「大学入学資格」を与える。
 A各大学は「大学入学資格」をもつ受験生を対象に、実技・小論文・面接など学科試験以外の方法  で入学者を選抜
  する。

というものです。
 こうした制度が実現すれば、偏った受験勉強の必要はなくなるし、1点を争う競争もなくなります。そして、大学入試にとらわれずに高校教育改革を進めることができるようになります。
 中央教育審議会は1999年の答申で、センター試験の「資格試験的な取り扱い」を提案しました。これを受けて大学審議会は2000年4月、「大学入試の改善について」と題する中間まとめで、センター試験の「資格試験的な取り扱い」をさらに具体化するとともに、将来的にセンター試験を資格試験化する方向についても言及しました。これを受けて、各大学でも検討が始まっています。日本の大学入試制度は動き始めようとしています。今ある大学入試制度が変わらないものとあきらめて、高校教育改革に消極的になる必要はありません。


5.山梨発の高校教育改革を

 そのほかにも、こうした高校教育改革には多くの反対論や不安がつきまといます。入学する高校を自由に選べなくなるのではないか、高校入試や高校間格差がなくなって受験勉強をしなくて良くなれば学力が低下するのではないか、などです。
 第一の点についていえば、現在の日本の高校教育が、一般的に学校選択の自由を保障しているとはいえません。多くの都道府県では厳しい高校間格差の構造があって、高校を自由に選べるのは成績の良い一部の生徒たちに過ぎませんし、その生徒たちもまた、一般的には自分の成績に見合った高校を選ばざるを得なくなっているからです。他方には、普通科を希望しているのに職業科を選ばざるを得ない生徒、商業科を希望しているのに他の学科を選ばざるを得ない生徒、などがたくさんいるのです。これに対して総合制が実現すれば、全ての生徒たちは地域の高校で自分の学びたいことを学べるのです。うわべだけの学校選択の自由より、こちらの方が好ましいのは明らかです。
 第二の不安については、山梨県の高校教育が事実をもって反証しています。山梨県は小学区・総合選抜制度の維持によって、さしあたっては普通科にその範囲が限られるとはいえ、高校間格差の拡大を防いできました。高校入試をめぐる競争は、他の地域よりずっとゆるやかなものになっています。ところが山梨県は、農村部や山間部に位置する地方の県としては、もっとも進学率の高い部類に入るのです。高校間格差のない山梨県の高校教育では、どの普通科に入った生徒にも大学進学のチャンスが同じように保障されています。他の都道府県のように、「底辺校」に入ったからもう進学は諦めなければならない、というような状況にはありません。このことが高い進学率につながっているのです。
 こう考えると、抜本的な高校教育改革を進める上で、山梨県は多くの良い条件を備えていることがわかります。高校間格差はもともと小さく、山間部や盆地が多いという地理的な条件も、総合学科高校になじみやすいといえます。
 どこか一つの県でも、総合制の実現と高校入学者選抜の原則廃止を実現できれば、その影響は大変大きいといえます。「そんなこと、できるわけがない」という消極論を、事実をもって反証できるからです。 山梨県こそ、そのパイオニア的役割を果たしうる県です。



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3.「総合学科高校」の可能性を求めて

(1)「総合学科高校」はなぜ設置されたのか?
−「高等学校教育の改革の推進に関する会議」第4次報告を中心に−


 現在進行中の高校教育改革は、第14期中央教育審議会の答申が基本的な拠りどころになっています。また、更に言えば、第14期中央教育審議会答申を受ける形で設置された「高等学校教育の改革の推進に関する会議」の4次にわたる報告がベースになっています。特に「総合学科高校」の設置については、第4次報告(1993年)において提起されました。
 では、「総合学科高校」は、どのような趣旨で設置されたのでしょう。
 上記の第4次報告ではまず教育および高校教育の現状を次のように捉えています。
…進学に際して過度の受験競争を生じ、学習塾通い等、業者テストによる偏差値等に過度に依存した中学校の進路指導、高等学校への不本意入学や中途退学などが社会的問題となっているところである。
…普通科と専門学科に区分された現行の学校制度は、普通科は進学、専門学科のうちほとんどを占める職業学科は就職という固定的な考え方に結び付きやすく、学校間の序列化、偏差値偏重の進路指導などの問題を生じさせる一因になっている。

 前述(橋本先生の指摘)のとおり、過度の受験競争の実態を踏まえた上で、「普−職二元システム」の限界がはっきりと指摘されています。
 また、今の子どもたちの状況を捉えた上で、「総合学科高校」設置の趣旨が次のように述べられています。

技術革新の進展等に伴い産業・就業構造が大きく変化しているため、若者の職業の選択についても先送りされる傾向が目立ってきたと言われているが、中学校卒業時に将来の進路について明確な見通しを持たないことを否定的にとらえるのではなく、高等学校における様々な学習や活動を通して自己の能力や適性を見いだしていこうとする積極的な契機として捉えることも必要である。

 つまり、産業構造の変化をも背景にしながらモラトリアム化している今の若者の実態を踏まえた上で、15歳の時点での進路決定が難しい状況になっていること(この点は更に言えば、「高校準義務化」の視点にもなるものと考えます。)を受け、多様な個性を持った子どもたちが、高校教育の中で自分自身の生き方や職業観・労働観を自分自身の中に育んでいけるような「普−職二元システム」を乗り越えるシステムと教育内容の確立が必要であることから、「総合学科高校」の設置が求められたと考えられます。


(2)「総合学科高校」の可能性

 ではいったい、「総合学科高校」とは、どのような学校なのでしょう。
 今までの高校と異なる点として、次のようなシステムや可能性を持っていることがあげられます。
総合学科高校が今までの高校と異なる点

1.自分自身のあり方・生き方を考えながら、幅広い進路選択が保障される。

  今までの高校教育のシステムでは、高校卒業後の進路選択(進学か就職か)によって、中学校卒業の時点で普通科・専門教育学科に進学するのか、職業科に進学するのかを決定しなければならないと一般的には考えられてきました。
 しかし、前述のように産業構造が急激に変化していることを背景にしながら、子どもたちがモラトリアム化していること等を受け、中学校3年生の段階で進路選択の決定をすることがますます難しくなっています。(もちろん、中学校の進路指導において啓発的な体験・取り組み等を通しながら、自分自身の生き方を考えるような取り組みはなされてはいるのですが…。)そのような状況からすると、高校に入学してからもじっくりと自分自身の進路について考えるという点において、総合学科高校は大きな可能性を持っています。具体的に言えば、必修科目の「産業社会と人間」等を中心に、職業観・労働観・社会観といったものを生徒が自分自身の中に育みながら、進路選択を可能にするシステムを持っているのです。

2.自分自身のカリキュラムづくりが保障される。

  総合学科高校は、「単位制」の高校です。「単位制」とは、1学年・2学年といった学年区分がなく、在学中に決められた単位を取得すれば卒業が認められることから、1年次から3年次まで自分の学びたい科目を自分なりの学習計画で学べる仕組みのことです。
 さらに、総合学科高校では、生徒の進路選択に合わせた主体的な学習を保障するために、学習の方向性や系統性を考えて、まとまりのある科目を配列した「系列」(人文科学・自然科学・エレクトロニクス・ビジネス会計・福祉など)が生徒の選択の目安として示されています。
 また、生徒一人一人のニーズに応じた学習を保障するため、教職員定数の面でも加配措置や非常勤講師の積極的活用がされることになっています。

3.「共学・共生の学校」としての可能性を持っている。

 今までの高校は、どちらかと言えば「何を学び、どう生活するか。」という視点よりも、卒業後の進路選択に比重が置かれて捉えられてきたのではないでしょうか。つまり、「将来のため」という部分にウエイトがかけられ、「今をどう生きるか」という視点が見失われがちであったと言えるのではないでしょうか。十代後半の、まさに人間として生きていく上での「観」を醸成できるとき、多様な個性の持ち主と出会い、自分自身を見いだす中で進路選択・自己決定の基盤をつくることこそが、今、求められているのではないでしょうか。
 21世紀は、「共存・共生の時代」と言われます。このことは、一部の国におけるスタンダードではなく、まさに、グローバル・スタンダードと言えます。そうだとすれば、私たちは、後期中等教育の場を、単なる「競争の学校」ではなく、「共学・共生の学校」にしていく視点を持ちたいと思います。
 そういった意味において、多様な個性を持った生徒が学び合える総合学科高校というのは、「共学・共生の学校」となる可能性を持っています。
 注1)「産業社会と人間」
    「テストで…点とれたから、○○大学を受験する。」とか、「職業高校に入ったから、就職するしかない。」といった進学指導・就職指導ではなく、「本当に自分がやってみたいことは何なのか。」「自分はどういう生き方をしたらいいのか。」といった幅広い視点に立った自己実現にむけての進路指導の時間です。まさに、高等学校において進路指導観の大きな転換となる時間が設けられたと言えます。

 以上のような観点から、まさに、「総合学科高校」を今後の高校教育改革の中核として捉えていくことが、現時点では最も望ましいのではないかと思われます。



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4.「地域合同総合制高校」を展望した高校改革の推進を

(1)私たちの求める高校像

 戦後、高等学校設置の基本理念として「高校三原則」(「小学区」「男女共学」「総合制」)が規定され、将来的には入学者選抜をなくして希望者を全員入学させることが原則とされていました。しかし、それは現時点では実現されていません。
 社会状況の大きな変化にともない、私たちは、「高校三原則」を、「地域に根ざし、地域ととともに在り、育つ学校」「共学・共生の学校」「子どもの希望による科目の選択・多様な進路保障のできる学校」という視点で捉え直し、それに基づいた高校づくりをすすめることが必要だと考えています。
 また、その中で私たちのめざすのは、次のようなシステムを確立することです。
 *高校で学びたい生徒は学ぶことができるシステム
 *生徒の主体的な「学び」を保障する高校のシステム
 *高校での生活を通して、自分の生き方や労働観・職業観・社会観を自分自身の中に育んでいけるシステム今回、私たちがここにまとめたのは、「はじめに」でも述べたように、1997年に県教育研究所がまとめた『21世紀の教育の創造』<第1次提言>の提起を基本に、上記のようなシステムを具現化することのできる山梨における高校改革プランです。
 では、上記のような高校は、どのようにすれば実現可能なのでしょうか。
 その答えは、『現在ある高校の伝統やそれぞれの地域の実情等を踏まえつつも、総合学科高校のシステムを活用した全く新しい高校「地域合同総合制高校」づくりを推進していくことにある』と考えます。


(2)「地域合同総合制高校」とは?

 「地域合同総合制高校」というのは、あまり聞き慣れないものだと思いますが、次のような説明からイメージをお持ちいただしていただけると幸いです。

────────── 「 地 域 合 同 総 合 制 高 校 」 と は ? ────────── 

 これは、「高校で学びたいすべてのものが高校へ無試験で入学できる」ことを保障する制度です。
 まず、高校を普通科も専門学科(職業科・専門教育学科)も含めた総合制の高校にします。その際、どの高校でも共通に必要なカリキュラム(現在のシステムから言えば必修科目が中心となる)を用意した上で、旧普通科・旧専門学科など各高校のこれまでの施設・設備や教職員スタッフを活かした特色あるカリキュラム(現在のシステムから言えば専門科目が中心となる)を設けます。総合学科高校を参考にすれば、次のような「系列」が考えられます

  ◆旧普通科:人文科学・自然科学・福祉サービス・環境科学・国際文化
  ◆旧商業科:流通管理・商業情報・生産流通・国際ビジネス・情報システム
  ◆旧工業科:工業管理・環境工学・伝統技術・情報エレクトロニクス・生活デザイン
  ◆旧農業科:生物生産・バイオテクノロジー・環境土木・食品科学・園芸マネジメント

 ただ、一つの高校で地域の子どもたちの多様な学習要求に応じる専門教育を用意するとなると、マンモス化して教育条件が悪くなります。また、今あるひとつひとつの高校それぞれを総合制にするとなると膨大な予算措置が必要となります。そこで、総合制高校化した旧普通科・旧専門学科を、地域の実情を考慮してバランスよく組み合わせ学区を編成し、子どもや地域の要求に応じて多様な専門科目を各校で分担して設けます。
 つまり、一つの高校(新たな総合制高校)がいくつかのキャンパス(現在あるいくつかの高校)を持っているというイメージになります。
 通学時間は、30〜40分以内を原則とします。都市型の地域では、旧普通科と旧専門学科を地域の実情に応じて組み合わせて一つの学区にします。小都市型の地域では、現在ある学校数・旧専門学科の設置状況にも限りがあることから、場合によっては、2つの学区で旧専門学科を共有し、どちらの学区からも通学できるものとします。
(つまり、2つの学区にまたがっての学校間連携も考えます。)農村型の地域や山間部においては、地理的条件・交通の利便性等から1校を総合制高校とし、旧普通科・旧専門学科をミックスした総合制高校にします。
 その学区の子どもは、その学区の高校に無試験で入学し、1年次は、自分の最も身近な校舎に通い、どの高校でも共通に必要なカリキュラムを学習するとともに進路選択ができるようガイダンス機能を強めます。例えば、将来環境保護の仕事をしたい生徒は、1年次には、最も近い校舎に通いながら進路選択を行い、2年次以降は学区内にある環境科学系列のある校舎で学ぶということになります。選抜をしない上に、「系列」そのものに定員がないので、どの生徒も希望する進路選択を保障されることになります。
 これは、実質的な中高一貫教育です。昨年、その選択的導入が決まった中高一貫教育の連携型の応用編とも言えます。
 すべての高校を総合制高校にするので、普通科・職業科といった区別や格差が解消します。また、「工業」「商業」という学校名もなくなるので、学校名による無用の優劣観も消えます。「学校歴」社会の転換を推し進めるシステムと言えます。
 学校間格差を解消し、同時にどの生徒も高校へ無試験で入学できる、しかも、「選抜」でなく生徒の「選択」を認める、というのが「地域合同総合制」です。1学区の複数校で一つの総合制高校を構成するというイメージです。実質的な小学区制と言えます。


(3)私たちの提起する2つのプラン

 以上のような「地域合同総合制高校」をひとつの理想型と考え、それを山梨なりに具体的な形にしていくことを中心に私たちはおよそ1年間、調査・研究をすすめてきました。以下に、私たちの2つのプラン(プランAおよびプランB)を提起いたします。
 プランAは、山梨県における「地域合同総合制高校」について、その基本理念と構想をまとめ、その具体案を各ブロック(学区)ごと提起いたします。
 それに対してプランBでは、最終的には「地域合同総合制高校」をめざしつつも、現実論として、山梨県においては「高校整備新構想」に沿って改革がすすめられている現在、よりよい改革(学校現場、子どもたち、保護者といった県民の声を重視した改革)をすすめるための、より現実に即した具体案を提起いたします。私たちは、先に述べたような考え方から、総合学科高校を基軸にした改革をすすめていくことが必要との認識に立っています。つまり、プランBは、地域に根ざした総合学科高校のよりよい設置に関する具体案を示したものです。
 別の言い方をすれば、「地域合同総合制高校」の実現に向けた段階的なプランとしての県内への総合学科高校の増設プランということになります。
 ただ、付記しておかなければならないことがあります。それは、プランBが具現化された場合、それがそのままプランAのような具体案につながらないケースもある、という点です。それについては、具体的な最終型がどのようなものになるかは、地方分権や市町村合併の動向をはじめさまざま流動的な要素もある中で不確定な部分も多く、現在ある高校を生かすという視点で提起したプランAについては、今後さらに検討を加えていかなければならないと考えます。
 いずれにしても、私たちは、将来的には、すべての高校を単位制にして、ブロック別に「地域合同総合制高校」をめざしていきたいと考えます。

 なお、プランAは、1999年12月にまとめた『中間報告』の時点のものをそのまま再掲させていただくことをあらかじめ、おことわりしておきます。


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7.おわりに

 現在、「教育改革国民会議」での論議をはじめ、さまざまな教育改革がすすめられようとしています。
 今回、私たちが足かけ2年をかけて取り組みをすすめてきた入試改革・高校制度改革についても、中高一貫教育の選択的導入や大学入試改革等の国レベルでの改革論議や、県内における「高校整備新構想」を検討・進行させるための会議が持たれるなど、20世紀のしめくくりの現在は、まさに、教育の大きな分岐点にあると言えます。
 昨年12月、『中間報告』を公表した後、学校現場・教育関係者をはじめ県内のさまざまな方々から、ご意見をいただきました。そこから浮かび上がって課題を、私たち「学校制度改革研究委員会」は、次のような2点に集約しました。

 @「小学区・総合選抜制度」と「学校選択の自由」をどう考えるか。
 A「受験競争の緩和」と「学力保障」をどう考えるか。

 すでに、研究委員会では、それらの点についても、論議をすすめてきていますが、いずれにしても、私立学校も含めてこれからの公教育をどうつくりあげていくのかを教育関係者だけでなく、すべての大人が自分自身の問題としてとらえ、21世紀を担う次の世代にどのような教育環境や生活環境、社会的状況を引き渡せるのか、真剣に考えていかなければならないのではないでしょうか。
 そういった意味において、今回のこの『最終報告』が、後期中等教育のあり方を窓口にしながら、山梨の教育をどうつくりあげていくのかを論議していくひとつの契機となることを期待し、お願いするものです。
 研究委員が、それぞれの職務に携わりながらの研究であるため、不十分な点も多々あろうかと思いますが、私どもの教育にかける思いをお汲み取りいただければ幸いです。


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